こんにちは!さきティです😄
前回は睡魔との向き合い方に関して説明しました→勉強の工夫3
他にもこれまで、勉強を頑張る人の助けになればと勉強方法の工夫についてつらつらと記事を書いてきました。が、そもそも、なぜ人は勉強するのでしょう。
小学生のとき、疑問に思った人も多いのではないでしょうか。目標があり突き進む人は、その目標を達成するためと答えられるでしょうが、そうでない人は勉強する必要がないのでしょうか。答えは、「人による、が、多くの人はする必要がある」です。
今回はこのことに関して少し解説していきます。
小学校から高校まで、学校で教わることは2種類に分けられます。それは、受験科目と、そうでないものです。受験科目とは、文字通り学校入学時に試験を受け合格点をとる必要がある科目であり、各個人が志望する小・中・高校、大学・専門学校および学部学科などにより様々です。一般的に中学受験に比べ高校受験の方が、また、高校受験に比べると大学受験の方が受験科目の高等化・専門化が進んでいるため、高等教育になるにつれその科目は細分化されていきます。
ここで、学生の立場でみてみましょう。将来の夢が具体的に決まっている人、将来のことは漠然と考えており具体的な道は決まっていない人など様々いるはずです。
将来の夢が決まっている人の中には、そもそも高校、大学での教育が必要ないという人もいるでしょう。自身の歩む道において義務教育以上の学校教育は必要なく、学校外で学び、職人あるいは専門家として生きる道です。プロ棋士やプロスポーツ選手、芸能人などで時折見受けられます。
もちろん、将来の夢が高等教育の先にあるという人もいるでしょう。その人達にとって受験科目を勉強することは夢を叶えるために通過しなければならない試験を乗り越える力をつけることと同義であり、その必要性は疑う余地がないはずです。
では、将来のことは漠然と考えており具体的な道が決まっていない人はどうでしょうか。
彼・彼女らにとって、勉強することはどのような意味があるのでしょうか。ここで今回のタイトルに戻ります。有備無患、備え有れば患い無しという故事成語です。
つまり、具体的な進路が決まっていない人にとって、勉強するということは、将来の夢や志望学科が決まった時に備えてその受験科目の基礎をあらかじめ学んでおくことになり、希望進路決定後に慌てて学び始めずに済むということです。言い換えると、将来の選択肢を増やすために、広く学んで備えておく、ということです。今や2人に1人が大学進学し、短大などを合わせれば8割以上が高校卒業後に進学する時代です。多くの人は受験科目が決まるのは高校生かそこらの時分であり、そこでの選択肢をなるべく多く残すためにも少なくとも受験科目になりうる教科の勉強はしておくに越したことはないのです。
と、ここまで勉強するのは高等教育における受験に必要であるから、と説明してきました。
では、受験科目ではないものを学ぶ意味はないのでしょうか。
安心してください。学ぶ意味は、ありまぁ〜す!!(ホントにあります)
それこそが、“教養”となるのです。教養とは学問・知識を身につけ養われる心の豊かさのことです。
人間は、社会活動をする生き物であり、つまり生活の中で他者と関わりあいを持たずに生きていくことは非常に困難です。その社会生活を営むうえでなにかと役に立つのがこの教養です。様々な知見を得ることで、物事に対して考えが及ぶ範囲は広くなり、新たな発見をすることでさらに人として、その知識とともに深みをましていく。その中の一部分を他者と共有・共感することで関係は築きやすくなるのです。
共通の話題が多い人と、ほとんどない人とでは接しやすさが全く違うということはみなさんも経験していることと思います。人は、原則1人では生きていけません。少なからず誰かと接して生きています。教養は、ここでの関係性形成において役に立つのです。
またしても長く語ってしまいましたが、まとめます。
なぜ人は勉強するのか、それは受験への備えと教養を身につけるためです。
プロスポーツ選手の様にごく稀に学校教育をあまり必要としない人がいるのも事実です。しかしその人数は決して多くはなく圧倒的に少数派です。
なので勉強する必要があるか、という問いの答えは「人による、が、多くの人はする必要がある」となります。
いかがでしたか。小学校入学、人によってはそれ以前から始まっている勉強の意味を改めて考えてみました。同じ疑問を抱くお子さんに、優しく説明してあげる際に少しでもこの記事の内容がお役に立てればとても嬉しいです。
今回も、お読みいただきありがとうございました!
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