大学受験期①~高校時代~

学歴下剋上

こんにちは!さきティです😄

ここでは僕の高校時代の教育、勉強法などを振り返りながら、学歴下剋上に何が良かったかを考察していきたいと思います。人生初めての挫折を味わったのが高校時代。それをどのように乗り越えたか、など参考になれば幸いです。

前回、中学卒業までお話ししました。→少年期④

今回は高校時代、ということで、高校時代どのような生活をしていたか書いていきたいと思います。

高校の勉強は、僕にとってはギリギリで、それまでの経験から親に頼んで早期に学習塾に通わせてもらうことになりました。高校は別でしたが中学時代の友人2人とも話し合って、同じ塾に通うことにしました。学校が終わると塾で再会して地元の駅まで一緒に帰る習慣ができ、塾に行く楽しみは高校時代もありました。

ただ、教科によってはついていくのに精一杯で、特に英語、国語は芳しくなかったです。

それまで、勉強すればするほどできるようになっていた感覚がありましたが、キャパシティに限界がきたのか得意でないものはやりきれなかったり、得意科目でもすぐに置いて行かれそうになるようになりました。やってもできないのは自分には受け入れ難く、”まだ本気出してないだけ”という言い聞かせを半年ほどして、やったつもりの不得意科目の成績がそこから変わらない現実に直面し、ようやく井の中の蛙であったことを自覚しました。この時、伸びきっていた鼻っ柱は根こそぎ折られ、事実を受け入れるのに数日要しました。高校1年生の秋でした。今でも鮮明に覚えています。

とはいえ、top of topのごく少数を除いて、誰しもこの壁にはどこかの段階でぶち当たるもので、僕の場合はそれが高校時代であっただけだという認識のもと、受け入れました。キューブラーロスの、死の受容に関する見解では、受け入れがたい事実を受容するまでにいくつかの段階を経るようです。”勉強で不得意科目があること”は”死”とは比べるのもおこがましいほどのもので、割合短期間で受容しました。

認めたくない事実を受け入れるのに、やはり幸運であったことがあります。得意科目があったことと、目標が早めに定まっていたことです。数学、化学に関しては学年で上位の成績を保てていたこと、それが軸・拠り所になりました。また、漠然と医学者になろうと考えていた小中学時代と違い、様々な講演を聞く中で、理系で進むなら医学分野、つまり医学部を受験しよう、という意思が高校1年の時に固まりました。くよくよしてても成績は伸びない、できることをやるだけだ、と言い聞かせ励んでいました。

自分なりに努力はするものの、なかなか実らず歯痒い思いもしました。そんな中腐らずに努力を続けられたのは、先の友人2人と支えてくれた家族の存在が大きいです。

2年になると、公立高校とはいえ受験モードに入り、休みの日も可能な限り自習室に籠り、勉強に励む生活をしてました。中学時代の2人の友人もなるべくそれに誘い合わせるようにして、切磋琢磨を続けました。部活動を3年の春に引退してからは拍車がかかり塾が開く前に喫茶店やファストフード店に行き自習、塾が閉まってからも終電近くまで喫茶店で自習を続けるという徹底ぶりで、毎日朝早くから夜遅くまで勉強する僕を少しでも楽させるためと、両親は最寄り駅まで車で送迎してくれたり遅くに帰っても食事を用意してくれたりして支えてくれました。

不得意科目が得意科目になることはありませんでしたが、得意科目は得意のままで受験期を迎えました。家計的に余裕はなく、私立医学部は受験できません。医学部に行くには、というか大学進学するにはセンター試験(今でいう大学入学共通テスト)を好成績で突破しなければなりませんでした。これが、かなり苦手でした。

対策はすれども結果にはなかなかつながらず、結果的にはセンター試験が致命的になり現役時の受験は落ちました。諦めきれず、両親に頼み込んで、1年浪人することになりました。

次回は浪人時代の生活に関して少し書きたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました!

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